岩手 三陸の旅 4日間 ②
2007年 08月 23日
3日目
浄土ヶ浜
今から300年程前、とある高僧が『さながら極楽浄土のごとし』と
感嘆したことから名付けられたそう。
ガイドブックでははめ込み画像かと思うほど(オイ)
美しいコバルトブルーの海なんだけれど・・・
曇りだったからか普通の太平洋・・・ <コラー!?
遊覧船に乗り浄土ヶ浜巡り。
至近距離まで飛んでくるウミネコの餌付けは迫力満点
潮吹き穴
波が荒れていると潮を吹き上げるように飛沫があがるらしい。
この日は穏やかだったので見る事が出来ず・・・残念。
当初の予定ではここで終了、600Kmの帰路に着く筈だった…
それがまた旦那の鶴の一声 『 中尊寺に行きたい 』で
平泉に延泊決定~~!!
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4日目
中尊寺 ・ 毛越寺
2008年には世界遺産に登録される予定だそうです。
ワタシは日本史が嫌いです。
だが歴史的建造物を目の当たりにするのに何も知らないのは無礼だと
前日晩、旦那より平泉・中尊寺の歴史のレクチャーを受ける。
が、あんまりにも知らなさ過ぎて最後は
『自分で調べろ!』とふて寝される。 チッ。
藤原氏四代およそ100年に渡って繁栄した平泉。
初代清衡は、仏教による平和な理想社会を建設しようと
中尊寺を建立しました。
金色堂
残念ながら館内を撮影できませんでした。
松尾芭蕉が『五月雨の 降残してや 光堂』 と詠んだように
床・天井・壁面・・・ すべて黄金で息をのむ美しさでした。
ここに藤原氏四代のご遺体が安置されています。
毛越寺
オーマイガーッ! デジカメのメモリー不足で写真が撮れず・・・
美しく手入れをされた境内・・・
でも殆どの建物は戦で焼失し“跡”として礎石のみが残っていました。
義経が秀衡を頼って落ち延びたがその後秀衡は死去。
義経は四代目泰衡によって攻め入られ、自害する。
『夏草や 兵どもが 夢の跡』
この地を訪れた松尾芭蕉は悲運の源義経をしのび詠んだ、
あまりにも有名な句。
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こうしてゆゆた家の夏の旅行は終盤へ。
宮城に入って菅生SAでは牛タン定食にずんだ餅・・・
ご当地名物を堪能しました。
(その割には食べ物の写真を撮るのを忘れたワ)
三陸の海の幸と歴史に触れた、非常に有意義な4日間でした。
- 完(笑)←なぜ笑? -
by yuyu_ta
| 2007-08-23 16:08